院長プロフィール

院長

はじめまして

院長の戸栗公男(とぐり きみお)と申します。

1962年希望ヶ丘で生まれました。寅年で、南希望ヶ丘中学校の1期生となります。

「珍しい姓ですね?」と聞かれますが、父の実家が富士山が近いのに周囲の山がけわしくて見えない“ド田舎”、山梨県の南巨摩郡で、実家の前に「戸栗川」なる川が流れており、そこが発祥らしいです。

施術家としての実績

  • 整体専門学院講師
  • アロマセラピー学院講師
  • 日本大学レスリング部セラピスト
  • 関東学院大学ラグビー部セラピスト
  • スカッシュ全日本チャンピオンセラピスト
  • コアシステム主宰(統計心理学)
  • スティックシステム主宰(施術システム)
  • 人気先生ドットコム主宰(施術家向け情報発信サイト)

私が開院した理由

私がこの世界に身を投じる経緯から、施術に対する思いまでのストーリーを書きました。よろしければご覧ください。

 

【自衛隊で腰痛体験】

高校を卒業して務めた大手百貨店の社員から心機一転、ヘリパイロットを目指して陸上自衛隊に入隊しましたが、超難関のため挫折。落下傘部隊に選抜されました。

そこは首都防衛を担う精鋭部隊と内外から称され、自衛隊の中でも特に訓練が厳しいエリート部隊です。

日頃は落下傘降下訓練と格闘訓練、演習場での実戦想定訓練に明け暮れて、ここで人生初めての腰痛を経験しました。

今思うと腰椎ヘルニアと坐骨神経痛だったと思います。また、銃剣格闘でふくらはぎの肉離れも経験し、満身創痍の期間がありましたが、何とか隠して訓練を続けていました。

と言うのは、実は落下傘部隊は腰椎ヘルニアと坐骨神経痛を診断されると過酷な訓練に耐えられない身体と判断され、他の部隊への転属を言い渡されてしまうのです。

落下傘隊員はこれを最高の恥とします。

 

【自衛隊での経験を生かしたい。。。】

今のようにインターネットで情報を取り入れる術もなく、カイロプラクティックも全く知られていない時代でした。さらに未婚隊員は部隊内宿舎での共同生活で、外出は日曜のみ。外泊も2週間に1回の交代制でしたので、治療院に通うことは全く考えもしませんでした。

それでも何とかだましだまし養生しながら、訓練をこなしていました。

時は立ち、任期の切り換えの時期がやってきました。自衛隊は階級社会で、下層の階級では任期制になり、2年に1回を一区切りとし、任期を続行するか退官するかを決めるのです。

大企業を辞めてまで志を持って入隊した自衛隊です。骨を埋めるつもりで中層の階級、果ては上層の幹部自衛官までの道も考えましたが、もう一度社会に出て、自分の力を試したいと思い、任期で退官したのです。

 

【はじめて知る「カイロプラスチック」?】

どんなプラスチックなんだ?
エジプトか?

情報が少ない当時はこんなものです。自衛隊を退官してから間もなく、自分探しをしていた時に先輩から誘われて参加した怪しい健康布団のセミナー。

そこで初めて「カイロプラクティック」の言葉を耳にしました。

そのセミナーへの参加も、自衛隊で辛い腰痛を体験したからこそですが、私は布団よりも、その「カイロプラクティック」に響いたのです。

早速、各種専門学校の本で調べ、「アメリカ式の整体法」と聞いたカイロプラクティックを学ぶ決意を固めたのです。

丁度、バブル景気の急速な伸びを始めたイケイケどんどんの時代で、何もかも活気を感じていました。23歳の時です。

 

【順調だった専門学校時代 】

当時は東京に2校しかカイロプラクティックを学べる学校はありませんでしたが、池袋にある学校の夜間部を選びました。朝からは四谷にある高級ホテルの客室リネン整理のバイトをして、夕方から21時頃まで池袋で学ぶ生活のスタートです。

週2回ある早出勤では電車の始発に乗り込み、帰りは久米宏がキャスターを務める「ニュースステーション」のスポーツコーナーが始る頃に帰宅するというハードスケジュールでしたが、若さもあって、また、将来の目標に向かっていることで全く疲れを知らずに楽しく勉強していました。また遊びも自衛隊時代に遊べなかった分を取り戻すように弾けていました。

2年後の昭和天皇が崩御した年に卒業し、通学中からインターン研修生として詰めていた学院直営の施術院に就職。

当時は卒業しても整体院への就職がまだ少なかった頃で、学院直営の施術センターへの就職は、学院講師の道も付随して、学生達の憧れの的でもありました。施術センターは渋谷・道玄坂のど真ん中にあり、施術と遊びに本当に充実した日々を送っていました。

 

【背伸びをした開院】

今思うと無謀な開院だっと白状します。

ソコソコほぐしができて、ソコソコ気持ち良くすることが上手で、ソコソコ背骨矯正ができた。それに年齢も若くて元気と活気があれば、年配のお客様からは好かれるものです。

施術センターの先輩先生の施術をマネしながら、同じようにやっていれば、何となくできてしまうし、歴史ある直営センターだったので、特に宣伝をしなくても何となく新規のお客様は集まるし、常連の方も「また新しい先生ね。よろしく」とごひいきにしてくれました。

これが勘違いの元です。

「オレ、いけるじゃん」と、施術センターの先輩達が開院して行く姿を見て、院長として残留するオファーを蹴って、1年で退職し、勢いで地元の希望ヶ丘で開院したのです。26歳の時です。

 

【気持ち良くすることはできても、なおせない焦り】

施術法にもよりますが、多くの整体学院では、偉そうなことを言っても結局は「ほぐして気持ち良くすること」を教わるのです。それだけでもお客様が集まる時代でした。

そんな中、6割以上の方には満足して頂ける施術を提供していましたが、それで調子づいていると必ず壁にぶつかり、大きな鈍器で頭を叩かれるショックを受けるほど落ち込む時が来ます。

「どうやって対処して良いのか分からない…」

症状の激しい方や、簡単そうでもなかなか思うような結果が伴わない方が来ると、全く太刀打ちできない自分がそこにいました。悔しくて悔しくてたまりません。

「来院者の6割も満足させられれば上出来」などと先輩先生から言われていましたが、4割太刀打ちできないことが許せないのです。

そこから残り4割を「ゼロ」にするべく、毎週の日曜日、まだ幼かった子供たちとの家族サービスを犠牲にして貪るようにセミナーや研修会に参加し始めました。

中には数十万、百数十万もする高額セミナーなどにも、生命保険を解約して、その返戻金をあてがって参加したりもしました。

 

【圧倒的に結果をだす施術院へ】

昭和の初期には、天才と称されるものすごい技術を持つ施術家が、全国に数名いらっしゃいました。

私は直接お会いしたことはありませんが、当時のお話を伺うと、本当に「ウソでしょ?」「そこまでもできる?」と疑いたくなる結果をだしていたようです。

例えばアトピーのかゆみを意図も簡単になくしてしまうとか…
捻挫で赤々とはれあがった、微動だもできない足首を、その場でみるみる回復させるとか…
確実にふくらはぎの肉離れと言われ担ぎ込まれた方が、自力で歩いて帰ることがきたかとか…

これは気功療法ではありません。れっきとした骨格を調整する整体術です。

今ではほとんどの方が故人となっていますが、その直系の愛弟子である先生から直接ご教授頂くチャンスにも恵まれました。

また、今まで二十数年の間にカイロプラクティック、オステオパシー、整体、運動療法、気功・エネルギー療法、潜在意識…と多くの理論技術を学ぶに当たっては、一流の先生方の元で学ぶことができ、今の臨床に大きな影響を与えています。

そして1年ごとに“なおせる施術家”としての成長を身を持って感じるようになっています。

 

【私の目指すもの】

“施術家”として私が目指すものはとてもシンプルです。

「圧倒的な技術力で有無も言わせぬ結果をだすこと」

それだけです。

あなたが幸せで楽しい生活、そして社会貢献を円滑に行うために必要なこと。

それは何と言っても「まず健康」です。

・健康があってこそ、お金が稼げます
・健康があってこそ、家事をこなせます
・健康があってこそ、育児があります
・健康があってこそ、楽しい家族の笑顔があります
・健康があってこそ、ご趣味に興ずることができます

そのあなたの「まず健康」のために、心からあなたのお役に立ちたいと想っております。

 

平成26年、院名を法人名である「(㈲旭カイロプラクティック」からしびれ痛み専門整体院【よくなる旭】に改名し、来る25周年に向けてさらなる躍進を誓います。


通院回数目安
地域別来院割合詳細データ
横浜市62%
大和市12%
厚木市4%
藤沢市2%
相模原市2%
横須賀市2%
秦野市1%
海老名市3%
座間市1%
鎌倉市2%
綾瀬市1%
川崎市2%
東京都3%
千葉県2%
静岡県1%
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